目次
7/3補足?
後藤さんからこのようなツッコミが入るとは思わなかった(笑)。本人がそう思うだろうなとは思ってたけど。
後藤さんも書いているように私はゴマすりと言うものをしない人間である。と言うか、
今更後藤さんにゴマすってどうなるものでもないし(笑)、後藤さんがゴマすりが嫌い
な人だと言うのも知っている。それに教える時、多数と少数では違うということも
知っている。私は昨年度TAとして後藤さんの講義に携わったが、その時感じた感想も
含めて旨いと言っているのであって、1:1で教えるのがうまいから総じて教え方が
うまいと言っているのでは無い。後藤さんの講義が評価が低い理由は、講義が下手
だとかではなく、学生が本気で講義を受けている証拠である。なぜなら、秋田大に限らないとは思うが、
全然頑張らなくても簡単に単位を取らせてくれる教官が人気が高い傾向にあるからだ。
後藤さんの講義は学生の主体性を重視し、学生参加型の講義である。ちょっと大げさな言い方かもしれないが、
後藤さんの講義ほど学生と本気でぶつかり合う講義はまず無い(色んな意味で)。その性質上、
変な話、学生は自我を表に出すことになる。それでいつもは陰でぶつくさ言っている人間も、
講義の延長でアンケートに書いてしまうのだろう。大体アンケートごときに悪口を
書くのだってかなりにテンションが必要なのであって(経験上)、多くの学生に
それだけのテンションを与えて講義していること自体、教え方がうまいと
言っていいだろう。ってこの辺の内容は7月版から書こうと思ってたのに長くなってしまった。
まだまだ書くことはあるし、他の教官も含め、シリーズ化して書こうと思ってたんだけどな〜、まっいいか(続きは7月版以降で)。
大体私ほど後藤さんに対して悪口を言っている者はいないだろう(と言うか言いたい放題?)。
たまに良いこと?を書くとくすぐったいというのはいかがなものか(笑)。
謙遜するのはいいが、他学科の学生が普通に遊び?にきたり、学生が専門外の質問に来たり、
人生相談に来るのって、客観的に見てもすばらしいことなんじゃないかな?
6/30
日誌を別の所に移す日(手間)を考えていたら、つい日誌自体がおざなりになってしまった。
どうでも良いけど、どうせすぐ6月分の日誌を移すことになるから(人の目に触れないから)、後藤さんについて
書いてみよう。後藤さんは秋田大学の教官の中でも群を抜いて教え方が旨い。
最近も、私の長年の疑問を僅か30分程で解決してくれた。ちょっと例え方が変かもしれないが、
秋大ではタクティクスに重点を置き、ストラテジーはおざなりになる傾向があるのだが、
後藤さんはこの両者をうまくまとめて話してくれるので、タクティクスを忘れても自分で解き方
を思い出せる確率が大幅にアップするのだ。これだけでは教官としては当たり前のことで、教え方が旨いと言えないと言われるだろうが、
要は、聞く側が嫌な内容を如何に飽きさせないで教えるかが問題。同じ理論をただ式を書いて
ぐだぐだ説明するより、自分の言葉(生きた言葉)で説明されれば聞く側も飽きが来ないし、
頭に入りやすいというものだ。後藤さんはこの辺が秀でているのである。ただこれには
賛否両論があり、後藤さんは前置きが長すぎるとか、深く追求しすぎとか言われてたりする。
前にも書いたが、後藤さんが聞く側が非常に低いレベル、と言うか単位だけほしいと言う学生の対処の仕方を
マスターすれば鬼に金棒だろう(生意気を書いているようだが、良い教官かどうかは学生の目から見たものも
判断材料にするべきであると私は考えているから、生意気だとは思わない)。
私は今のスタイルで構わないと思うけどね(確かに良く脇道に逸れるって言うか、オタッキーな話が多いけど(笑))。
後藤メモ(7/2)
私は「後藤はウザイ、氏ね、氏ね、氏ね」みたいに言われたり
書かれたりしたところで、特に平気だが、
こんな、歯の浮くようなゴマすり(まあ、千田さん本人は本心を書いている
のだとしても、そういうふうに読まれ得る文章)は、さすがに、
こっぱずかしい(今までも、それなりにこっぱずかしい文章は、
時々あったけど)。私の方針として、
削除や書き直しは求めないけど
(既に読んでしまった人にはますます余計な詮索をさせるだけだし)、
ウェブ上の文章は不特定多数の人間に読まれ得るということを
もう少し意識しておいてほしい。
読者が誤解するといけないので多少は客観的なデータを示しとくと
(って言っても今 手元にないんだけど)私の授業アンケート評価は
割と悪い。理由は千田さんが言うような部分もあるし、そうでない部分もある。
いずれにせよ、まだまだ改善していかねばと自覚している
(もちろん、学生の理解度を上げたいという意味であって、
アンケート評価を上げたいという意味ではない。念のため)。
それはともかく、自分の得意分野のことを一対一で説明するのは、
誰の説明であれ、(一対多でなされる授業とかの説明に比べれば)
それなりに分かりやすいものである。場合によっては、
学生どうしで(理解した直後の学生がまだ理解してない学生に)
説明する方が、(どこが分かっていないかが分かっているだけに)教官の
説明より分かりやすいってことだって多々ある。
千田さんの場合は、私と一対一でディスカッションする機会が多い訳だから、
そういうバイアスがかかっていることを念頭に置かなければならない。
私だって一対一で教える方が教えやすいし、一対六十の授業に比べれば、
一対十ぐらいのゼミとかの方がずっとやりやすい
(ネタも使いやすいし)。
6/29
戸籍上の祖母(父の継母)が亡くなった。血は繋がってないにしろそれなりにかわいがって
もらったものである。秋田に来てから、4親等以内の身内が4人亡くなっているが、帰省中
に亡くなった大叔母以外は全て帰省後に知らされ、一族では私だけ葬式に出ていない。
その都度何度も連絡をよこすように言い聞かせたものだが、今回も朝早くに携帯で電話してきた(別件で)母の行動に不審を持ち、昼に追求したら
白状したという具合で、また隠されていた。全く馬鹿親である!はっきり言ってぶん殴りたいが、
そうもいかないだろう。葬式は故人の為ではなく、残された者の為に行うと言った人が
いるが、私も同感である。死に目に会えなくとも、遺体と対面すること、つまり時の
停まった人という形をした物体を目の当たりにすることで、死の実感を感じさせる。
居なくなったという事実だけでは実感が湧かない。現に私は大叔父夫妻が住んでいた
家の近くに行くと、未だに生きている感覚で足が向きそうになる。
6/28
当たり前のことだけど、自分のしている研究がうまくいくことの方が少ない。ひょっとしたらと思い、1週間
以上かけて集めたデータになんら相関性がないようだった。もちろん、私が調べようとしたことと関係がなかったわけで、
調べたデータ自体は、それこそひょっとしたら後藤さんにとって有用かもしれない。
明日審判が下されるってかんじかな。
6/24
悪い癖だと認識しているし、罪悪感もかなり持っているが、予定を立てておきながら
実行しなかった(てゆーかスランプでできなかった)予定というものは、なかなか再実行できるものじゃない。
その理由は色々あるが、もし再実行したとして、途中で「これ本当ならX日前に終わってたんだよな〜」
と絶対考える自信があるし(何の自信よとツッコまれそうだが)、そうなる事自体やなことだし、
そうなるだろうと考えること自体嫌じゃ〜、な・ん・で・す(意味不明)。まぁ〜こん
な事考えている内に1ヶ月近く立ってしまった訳だけど、ひょんな事からやる気がおこる。
水研ゼミが早く終わったので、t氏と後藤さんと雑談をしている内に、このままじゃ
いけないという気が沸き上がったのだ。タイミングは偶然にしろ(それとも私はいつも死んだ魚のような目をしているのかな(笑))、t氏にはいつも励まされる。
どうせなら毒も抜いちゃえってな訳で、後藤さんに別件で一時間くらい愚痴ったらますますやる気が出た(後藤さんには二日連続の災難かも)。そんなこんな
で今日は約1ヶ月遅れの学習をしている。今の気持ちのまま振り返らずにやれたらいいのだけど…。
6/23
今日は恒例のゼミの日であったが書くネタがない。今時期のゼミは外国語文献講読
しかやってないのだから、我々が余程のことをしでかさない限り、ネタがないことはかえって良いことであったりする。
ゼミ後は二時間程、後藤さんと手分けして学生の相談にのる。私は身の上相談(愚痴60%)をしに来た学生だったから
まだ良かったけど、後藤さんは主体性のない学生に、主体性のある作文の書き方講座
をやらされていたのだからたまらない(後藤さんの苦笑い500%)。さながら教育テレビの小学生向け番組的状況だったのだから笑える。
最後は後藤さんが私ならこうするという作文を書いて渡したけど、そのまま書いて出すんだろうな〜。
6/22
昨日早く寝たのはいいけど、寝ぼけて夜中に冷房を入れたらしく、体調が悪化してしまう。
メールで後藤さんに連絡しようと思ったけどそれどころじゃなく、初めての無断欠席を
かましてしまう。昼中ずっと寝ていたお陰で何とか動けるようになり、pm10:00に後藤研に到着。
別に来なくても良かったんだけど、半日プログラムを走らせるかそうじゃないかは
ものすごく大きいし、バッチファイル自体走らせるのにそんなに時間はかからないから
ね。けどその考えが甘かった。昨日ディレクトリの中がデータでいっぱいになったから
サブディレクトリを作って大量に移動したんだけど、その時プログラムというディレクトリを作って
katasoシリーズも移したのが致命傷だった。kataso*.dさえあればhariso
は動くと思ってたんだけど、kataso*.dとkatasoは一緒のディレクトリにないとダメだったのだ。
そのためバッチファイルの半分が機能していなかった。あらためて走らせても良かったんだけど、
昨日走らせたバッチより、昨日作ったバッチを走らせた方が順番的に良かったから(結果オーライ?)、
それを走らせて帰宅。
後藤メモ(6/23)
hariso<kataso.d の実行に katasoの実行ファイルは不要です。何か別の原因でしょう。
6/21
昨日仕込んだプログラムを覗くも3つしか終わっていない。その性というわけじゃないだろうけど
頭が痛くなったので早退。明日に万全を期そう。
6/20
昨日はcゼミのことだけを書いたけど、実際は修論もやっている訳で、今日は昨日と今日の
作業を合わせて書こうと思う。金曜日に、後藤さんの作ったプログラム・harisen、harisoの
関係が二次曲線で表せられるのではないかというというちょっとした発見をしたら、後藤さんから
その解析のgoサインが出る。harisoを使うにはkatasoでデータを作らなければならないが、
その際状況によってkatasoのプログラムに修正が必要である。(めんどくさい(これも仙台弁?)けど詳しく書くか)
つまり弧長を決める際に、トラヘアの何分の一にするか(tra/x)をその都度kataso.fを書き直し、
データを作っていたのである。去年の後輩の適当な作業によって非常に迷惑したのは
先に書いたが、その為今年以降の後輩のためにそれぞれのプログラムをきちんとした形で残そうと
考え、プログラム置き場を後藤さんに伺うと、「何言ってんの。目安をその都度入れられるように
自分でプログラムしなきゃダメでしょ」だって。墓穴を掘ってしまった。
別にいちいち後藤さんが私の作業を確認しているわけでもないから、今までどおりにこっそりデータを出しても
良かったのだが、挑戦を受けて引き下がるのは男の恥(注・ネタです!)。完成度の高い
プログラムにメスを入れるのは正直怖いところがあるが、了解する。そして昨日に
なったのだが、だいたいこの計算。一つの計算をするのに計算サーバーでさえ二時間前後
かかるのに、先の解析に必要なデータは50近く必要である。まだまだいっぱい走らせなきゃならないのに、前日に走らせたものが
ものがまだ終わってない。しょうがないからfort11をfort12に書き直して、プログラムを
並列で走らせる(この時期に誰も使わないからやったけど、卒論シーズンにやってはいけません)。
けどあせりすぎてコンパイルせずにバッチを走らせてしまい、おじゃん!cゼミもあったし
土曜の作業はこれで終了(悲)。そして今日、いよいよプログラム書き換え作業。
後藤さんからどうゆう評価を受けるか分からないけど、まあうまく作った方か。
書き加え自体、最初の恐怖心さえクリアすれば簡単そのもの。後藤さんがf は簡単だよって
言う理由も分かる。けど、'まあうまく'と書いたのは流れ(進み方)の問題。目安を入れてください(弧長=tra/目安)
って出力させて、5000とか入れると2.234とか出るんだけど、その後で弧長を
入れるようにした。これがどう思われるか微妙かな。目安=の件(くだり)も。そんな事気にしてもしょうがないので
実際にコンパイルして、動かしてみて、いじる前のkatasoと同じデータが出るか確認後、
n(ew)katasoでデータを大量に作り、バッチ化する。いよいよバッチを走らせよう、と
その前に昨日走らせたデータを見るとデータができていない。なんと既にまわした
プログラムを再度走らせていたのだ。A君にせかされたとは言えこの凡ミス。
再び正しいバッチを走らせ、今日のバッチは明日走らせる事にする。内容の濃い二日間だったが、
結果が残せず残念。世の中結果が全てじゃないと言う人が多いが、私の歩む道は結果が全て。
非常にふがいない。ところで話変わるけど、佐藤琢磨が3位にはいった。am4:00なのに
都市研の北田と感動のメールのやり取り。趣味が一緒の友人がいるとありがたい。
しかもなぜかam3:00にたまたま目を覚まして、この快挙を生で見られたのだから、
F1と相性がいいと思ったりする。日本で行われたworld cupの時はどの試合を見ても
得点シーンを見る機会が無かったら(トイレに行ったら入ってたとか、合わせて5点
入っていた試合を途中から見てもその後入らなかったりとか)。
6/19
ある学科のA君らとプチc、fゼミを開く。題材はA君が講義で出されたレポートで、同じ内容をfとc
で比較するというもの。まず始めにA君が事前に打ったcのプログラムを走らせることに。
?コンパイルできない!エラーメッセージが二十近くもでるではないか。A君はキーボード
のどの位置に、何が配列されているかも知らないド素人なので、単なる打ち間違いだと思い、
課題と見比べながらチェックを私が入れる。果たして間違いが一個もない。しょうがない(仙台弁?)ので
A君に彼の友人がコンパイルできたか連絡を取らせたら、その友人もコンパイルできなかったらしい。
念のため、もう一度調べることにしたが、今度は中のプログラム自体チェック入れながら
調べることにする。すると、intの所に1が書いてあるでなないか。つまり向こうの教官が古いエディター
を使っいるせいか、1とl が区別しにくかったのだ。そうと分かれば間違いを直せばいいだけだが、
本当の1も使われている為、fを見ながら解析し、間違い箇所を直し再びコンパイルする。
だが、やはりコンパイルできない。さて困った。他に考えられるミスはない、ただ一つを除いては。そう、教官のミスである。
疑心暗鬼にとらわれながらもう一度確認すると、なんと{ と }の数が合わないではないか。
念を押すがA君のプログラムではなく、教官のプログラムがである。さらに見たことがない
文法があったのでネットで調べると、文法そのものは存在したが、使い方が間違っている。
これらを直して再度コンパイルすると、実に三度目にして成功する。
最初の1とl のミスは、以前後藤さんから昔は良くあったと聞いていたから(そんな馬鹿な話があるのかと思っていた)、なんだこういう事だったのか
と納得もできたが、後者は論外である。講義のレポートは院生が作ることが良くあるから、
cを知らない院生が、適当に打ったとも考えられるが、コンパイルできるかできないか位は
確認してしかるべき。最近実験でミスが続いた後藤研としては、身につまされる事件である。
だが、この時代に1とl が区別できないエディターを使っているのはいかがなものか。
fを知らない学生に、fを見ていたらcの間違いに気づくだろと言わんばかりのレポートも。
A君達はあさって大挙して抗議しに行くそうだ。
6/18
いつか書こうと思ってた事があったんだけど、後藤さんから5月分の日誌を移すよう指示があったので、
丁度良いから今日書こう。突然ですが、明洋(高橋の修論日誌)と私の日誌の最大の違いは何か皆さん分かりますか?
明洋の日誌は短く、私の日誌が長いとか、日付を大見出しか中見出しかという単純なものでは無論ありません。
いや、逆に単純過ぎて分からないかも。(いいからさっさと書けと言われる前に)答えは、
私の日誌の頭は、必ず更新した日付の日誌なってるということ。つまり今日なら、
私の場合6/18だけど、明洋のは5/5から始っているのでスクロールさせなくてはならない。
長く(長期)書く上でのwiki編集の性質による(本人の)書きづらさ、読む側の読みやすさ=後藤さんのチェックのしやすさ
から言えば当然私の方がいいはず。5/6の時点で明洋に教えてあげたのに…。そんな訳で、
私は日誌を移す必要性をあまり感じていなかったと言うわけ。ちなみに4年生はジャビー
に提出するから今のままでいい、と言うか今の書き方じゃないとダメだったりする。
後もう一つちなみに明洋には「悪口を書くよ」「いいよ」ってな具合で許可取ってます
(笑)。
6/17
昨日は後藤さんが用事があるとのことで、一昨日走らせたプログラムのデータの指示待ちの私は昨日
大学を休んだ(親知らずで奥歯が腫れて、熱あったし)わけだが、これが今日に悪影響をもたらせた。プログラムにリミッターが
書き込まれていた為に最後まで計算が行われず、もう一度やり直しになってしまったのだ。
昨日来てこのミスに気づいていたところで、今日は水研ゼミやら実験やらでどうせ大したことはできなかったかも知れないけど、
思った以上にやらかしたしてしまったようだ。
後藤メモ(6/17)
私のhari*.f系のプログラムは、ちょっと書き換えると、fort.11に
書き出された
(途中で計算が終わってしまった最後のステップの荷重や変位の)
データを読み込んで、前の計算の途中から計算を再開することもできるハズだけど、
もし、その手の計算続行をシバシバやるようだったら、ちょっと書き換えた方が
いいかも。あと、そろそろ5月分のログを
こっち
に回しては?
6/15
去年の4年生のSさんが残していったデータのサルベージ計画が大詰めを迎える。
Sさんは結果だけ書いて、途中使用したデータを残していかなかった。そのため
何のプログラムを使用し、どんな値を入れたのかが全く分からず、別のデータと比較したくても出来
ないわけである。そこで彼女の痕跡を調べつつ、プログラムを色々変えたりして、プログラムの
サルベージから始まり、それにデータを入れサーバーで走らせること三日。ようやく最終候補
二つに絞り込み、昨日帰り際に走らせておいた。果たして、二つの内一つがヒットし、
ようやく次の段階に進めることとなる。実際問題、尻ぬぐいが多すぎる。ngraphの時もそうだったけど。
もし今年の4年生が見ていたら次のことに注意してもらいたい。卒論(修論)の内容を本人が
継続して研究していくことはほとんどないが、研究室としては人が変わっても継続的に
行われていくことである。整理して整然と残していけとは言わないが、せめて使った
生プログラムや生データは保存していくように。ちなみにHi君かHA君は私と同じように
サルベージから卒論スタートという最悪なシナリオが待ってるかも知れない(去年の4年はずさん過ぎる!)。
6/14
最近なんだかな〜なことが多い。例えばある人に最善なことをしてあげたのにもかかわらず、
自分に返ってくるのは嫌なことばかり、なんてことはそれこそしばしばだ。
先週から今日にかけて、後藤さん、環境物質、材料、土木の学生が一丸となって一人の土木の学生の人生を救った(決して大げさじゃないと思うけど)、なんてちょっと
いい話的なことがあったけど、最終的には私の越権行為というオチになりそうだ。
助けられた者が例え私たちに感謝しなくても、それはその者の品位の問題だけど、
助けなくてはいけない立場の者が、自分の力のなさ(やる気のなさ)を棚に上げて、私たちの行動を
越権行為だの調子コイてるなどと言うのはお門違いだ!と先に宣誓(先制)しておく。この
言は、明日後藤さんに注意受ける確立90%だけど、やはりはっきりさせておいた方が良いだろう。
話は変わるが、私の友人(他学科)は私が土木ではねこをかぶっていると指摘する。
確かにそうかもしれないし、またそうせざるを得ないのも確かだ。私の過去や本性を知っている
T氏からはよく指摘されてきた(最近では後藤さんやt氏からも)。「君が今まで生きてきた世界(論理)と、これから歩もうとする世界は
まるっきり正反対だ。だから今までの生き方を反映させることは不可能だ」と。
要は今まで私が忌み嫌ってきた生き方をせよとT氏はおっしゃられたのだ。
T氏の言っている事は正しいこと(良いかどうかは別として)で、そうしなければならないことは
頭では分かっている。だからこそ、友人から猫かぶりと言われながらもそれなりにがんばってきた。
けど、相反する生き方は私に多くのひずみをもたらせてきた。両者が悪い意味で共存し、
時と場合によって無意識的に交互にシフトしたり、お互いが打ち消しあい、この前のような
大スランプを引き起こすのだ。さながら二重人格といったところか。
私にとって今一番急務なのは、修論でもDr論でもなく、上記の克服なのかもしれない。
だからと言って、後藤さんにばれなかったのをいいことに、居眠りぶっこきながら作業し、
何度も同じミスを繰り返し、その都度呆れさせた事の言い訳にはならないけど・・・。
6/11
パソコン関係と、色々な交渉に明け暮れた一週間だった。正直非常にだるい。けど、
精神的にかき回され続けた先週までと違って、今週は純粋に肉体的な疲れなのだから
、ある意味心地よさすら感じる。スランプとは手を切ることに成功したようだ。
後藤さん、T氏、t氏、明洋たちには感謝しなくちゃね。ところで、周期何とかオセロ
(興味無いから名前を適当に覚えている)についてI君の探したHPを見たけど、あれが後藤さんの指したものならば、非常に
つまらい。周期何とかオセロがどうこうじゃなくて、あのルールは、私が小学生
の時、つまり二十年前には仙台の一部ですでに行われていたからだ。どのような経緯で
その様なルールでやるようになったか忘れたけど、一つ確実にいえることは、私を含む仲間が
自ら編み出し、色々手を加えていったということ。小学生程度が思いつき実践していた
ルールを、私ら以前に考え付かなかった人がいなかったとは考えられないけど、もし
私らが初めてなら、南小(私がいた小学校)式オセロでしかるべきではないか?なんて考えたりして。
マジで興味ない(しつこい?)けど、ここまで書いてしまった手前、週末にでも、もう少し周期何たらを調べる必要があるだろうな〜。
6/10
今日から水研のcゼミが開講される。教える側、教わる側で先週とは立場が違うとはいえ、
やはり予習は必要だろうということで、昨日後藤さんのcの本で少し予習しておいた。
cはハローワードが多く、フォートラン(以後f)と比べると格段に難しいと後藤さんから聞いていたが、
構文そのものはXHTMLやTeXに近いものがあるので、私的にはfよりもずっと
把握しやすく感じる。けど、問題はそこではなく、私がfが扱えないのが問題なのだ。
ただ、近未来的に私がcに精通すれば、fが扱えなくても問題がないのではないか?
fもcも始めたばかりの私にとっては、c、fの関係が分からない。要はcを使うもfを使うも
使う者の趣味なのか、cはfを超越したもので、将来的には皆cを使うようになるのか?
後藤さんに聞けば簡単だけど、もし後者なら、一生fを勉強しなくなるだろうから、
もう少し両方勉強してから聞こうと思う(というか勉強していく内に自分で気づくかも)。
6/9
昨日来た3年生が再び質問に来た。理論値と実験値のオーダーが5桁も違うのだという。
後藤さん、kissさんと3人で解析に入る。一つずつ用いた公式を書かせ、色々検討したのだが
どうも分からない。そこで実際に数値を代入させると、マイクロオーダーのひずみをそのまま用いて、つまり400μを400として計算
していたことに後藤さんが気づく。よくよく考えると私がマイクロオーダーだということを
伝えるのを忘れていたらしい。これについては、μがきちんとついたデータ表を先週渡してあったので、
私にはおとがめがなかった。このミスの訂正により、オーダーは合ったのだが、どうしても実験値が
理論値よりも2倍大きくなる。計算過程で×2となる公式はなく、データも2班×2回やって
ほぼ同じ値がでているので信用しても良さそうだ。となると理由はただ一つ。「機械の
せいじゃないですかね?」これに始め後藤さんは懐疑的だったが、しつこく言っていると、
重い腰を上げてくれる。マニュアルとゲージの品質表と格闘すること約30分(と言っても後藤さんがだけど)、
ついに後藤さんが設定ミスを見つける。設定の中で各値に×2するのを忘れていたのだ。
ひずみが二倍になればヤング係数はおのずと二分の一になる。このことが分かった時には
3年は別件で帰ってしまっていた為、後藤さん自らお詫びの掲示を作る。実際問題として、
自分のミスを認めなかったり、逆ギレする教官は世の中にはごまんと居る。それを後藤さんは
自分の非を認め、お詫びを書いたのだから、自分の教官がこういう人で良かったと本当に
思った(よいしょじゃないよ(笑))。
6/8
今日は後藤さんがメンテナンスで休みな為、自主休校にしようと思ったが、なぜか昨日
ゼミ後走らせたプログラムが気になり、しっかりと午前中に後藤研着。ひょっとしたら
スランプ脱出か?と思ったら、バッチファイルが機能せず、十の内一つしか結果が出ていない。
昨日後藤さんにチェック入れてもらったのに…。さっそく明洋達で憂さ晴らし。気が晴れたが、
またバッチを作る気にならなかったので、トラヘア/xをトラヘア/3000にプログラムを
作り直し、データだけを作る。けど未だやる気があったので、要素数128でデータを作る。
う〜ん、未だやる気があるぞ、ってな訳で各一つずつ計算サーバーで走らせる。
ついでだやっちゃえって感じで、バッチを作り直した所で水研からヘルプが入る。
pdfがカラーにならないってトラブルで二時間缶詰になるも、結局直らず。明日後藤さん
にまた叱られることだろう、いっそ助けて下さいって泣いてみるか(笑)。なんて事を考えて
後藤研に戻ると3年生が待っていた。後藤さんのネームプレートが’帰宅’になっているのに、
待っているということは、私を待っていたのか?嫌な予感は的中し、お時間くださいって言われてしまう。
結局7時くらいまで彼らはいた(ほとんどほっといたけど)。彼らが帰った後、五時間前くらいに作ったバッチを思い出し、ようやく走らせて帰途につく。って書こうと思ったらそろそろ九時だよ…。
今日もトホホだよ。
6/7
4年生と自主的にプチゼミを開いたところ、いつの間にか後藤さんも加わり、本格的なゼミに突入!ほぼ5時間も缶詰になってしまった。
これは私が記憶が正しければ、後藤研始まって以来、一番長時間のゼミである。
プチゼミは当初、計算サーバーを使わなくてはいけないが、使ったことがない者達で試しに使ってみっか、のノリで始まった(予定を立てた)のに…(罰ゲームのノリになってしまったよ〜、とほほ)。
私も4年生も良い勉強になったが、ひどく予定外に疲れ果てた。
6/4
しばしば事件の続報(笑)。私の日誌をT氏が見ているのは周知の事実だが、そのためか、
はたまた後藤さんが呆れてT氏に話したのかは定かではないが、T氏も自分の研究室で
しばしば調査を行ったそうだ。「うちの研究室にも一人だけいましたよ」との言葉に、
「そうでしょ」と私と後藤さんが同時に答える。私は『やはり一人しか分かってなかったでしょ』
の意味で、後藤さんは『やはり一人しか、分からなかった学生はいなかったでしょ(後藤研の学生が変なんだ)』
の意味でこの言葉を発したのだが、それをT氏が敏感に読み取り、すぐさま後藤さんに「いえ、一人だけ分かってたんですよ」
と言い直す。「やっぱそうでしょ」という私の言葉を尻目に、「う〜ん」と後藤さんは唸って首をかしげている。
その後はこの事についていろいろと話が盛り上がったのだが、最後に右翼と左翼も
今の学生は分かってないのではと言う話が飛び出し、やばい!と思う。案の定聞かれ
、答えられなかった私を肴に二人は盛り上がり、挙句に宿題にされてしまう。
どうでもいいけど、お二人は今日教官同士の飲み会だそうだ。どうせこのことを酒の肴にするんだろうな〜
と思いつつ、しぶしぶパソコンに向かうのであった。
6/3
いよいよ水研でのvi講座の日である。マニュアル作りは後藤さんの意見を聞きながら何とか
書き上げてはいたが、実際の講義のシュミレートを諸事情で行うことができなかった。
その為非常に不安な気持ちのまま水研に向かうと、Hi君とHa君が受けに来てくれていた。
前日後藤さんから受けることを奨められていたが、強制ではなかったので来ないものだと
思っていたのだが、二人が来てくれたおかげで少し気分が楽になった。後藤さんからは二人の進行状況に合わせず、
水研の学生にあわせるよう指示があったが、水研のM1が水の学生を見ていたことと、水研の一部の学生は私の作ったマニュアルを見ながら次々に先に進んで作業していたので、私は
この二人のペースであえて行った。自己採点するなら、取り立てて目立ったミスはなかったと思うが、
正直言って全く余裕がなく、いいとこ30点か。自己嫌悪だけが残るゼミであったが、
このことを次のTeXゼミにつなげたいと思う。
6/2
今日は毎週恒例のゼミの日である。いつもならゼミの内容を書くところだが、水研でのパソコン
セットアップでの出来事について書こうと思う。実はこのセットアップ。何回もチャレンジして
失敗し、実に3回目である。理由は、TeXのセットアップはコマンドプロンプトをもって行わなければ
ならないところを、そうしなかったためできなかったというくだらないものであった。だが今の自分
だからくだらない事と言えるのであって、コマンドプロンプトの役割を知らなければ、
例え後藤さんのサイトに書かれていたとしても(実際書かれているのだが)、いつでも起きうるミス
なのである。ともあれこのミスで、コマンドプロンプトとショートカットの真の意味を
知ることができたのだから実に大きい。前にも書いたが、私はパソコンの勉強を
してから色々な仕事などをこなしているのではなく、こなしながらパソコンの勉強をしている
のであって、その性質上、ミスから学ぶことが自(必)然と増えてくる。無論、このような姿勢が
後藤さんにとっては非常に歯がゆいところではあろうが、"明洋達よりはパソコンに興味がある
程度"からスタートした私にとっては、このペースでやる方が、と言うより、せっかく興味を持ち始めた今の気持ちを
無くさないためには重要なのだ。ともあれ、無事にTeXのインストールを完了できたわけだが、
やはりコンパイルできない。理由を探していると、コマンドプロンプトで動かさなくてはならないということが抜けていたときに、
ひょっとしてパスの問題なのではと色々パスなどをいじくりまわしため、今度は本当にパスが切れていなかったのと、TeXの
プログラムを少し変更することを忘れていたのだ。ようやくその事に気付いたときには
すでに五時を回っており、一緒に作業していた水研のIさんが打ち合わせのため、もう出かけなくてはならなくなったので、
明日のゼミ終了後に続きを行うことで、今日の作業は終了した。
6/1
数年ぶりに開校記念日が平日に当たり、今日は休みである。だが、ドクターのkissさんの中間発表が
あるとのことで後藤研に顔を出す。正直言って内容はちんぷんかんぷんだった。内容すら日誌に
書けない自分をとてもふがいなく思った一日だった。
5/31
先日頼まれたviのマニュアルを作ることを思い立つ。さっそく後藤さんがリンクを貼っている二つのサイトで復習を始めるも、
どちらにも終了の仕方が載っていない。何気に側にいた後藤さんに「ZZって裏技なんですか?」と聞くと失笑をかう。
「『vi ZZ』で検索したの?」と言われ、失笑の意味を悟る。長いスランプの間に、こんな
極初歩のこともできなくなっていたのだ。ふと、鬱に入る。「ほら、こんなにある」と言う言葉で我に返る。
まるでボケとツッコミだな、と仕様もないことを考えながら右に倣う。果たしてヒットしたサイトを
眺めながら、マニュアルのイメージ固めをし、TeXで書き始める。途中verbatimでお茶を濁しつつ
三分の一ほど書き上げた頃にはすでに7:00を回っており、後藤さんは帰宅していた。
きりが良かったので私も帰ることにし、後藤研から出るとT氏とt氏が廊下で会話していた。
「どう?調子は?」とt氏に聞かれたので、「viのマニュアルと早見表を作ったのですが、後藤さん
に笑われましたよ(笑)」とネタで返す。「すばらしい!ぜひ書き上げてください。お願いしますよ」
と言われ照れていると、「千田先生が講義なされるのでは、ぜひ聞きに行かなくては」とT氏にからかわれる。
なんとなしに、ほのぼのとした気分で家路についた。
5/28
スランプを理由に1週間日誌をサボってしまった。言い訳にならないのは重々承知しているし
、日誌がその日のうちに(遅くても次の日)には書かなくて意味がないのは承知しているが、
そこはあえて無視し、思い出しつつ書かせていただきます(逃げる癖だけは付けたくないので)。
突然、t氏(以前から出ているT氏とは違う人物)から
ゼミでviの講師をしてくれとの依頼がはいる。私のviの知識は初心者そのものである。
無論後藤さんはそのことを一番知っている訳で、初め当然断ったらしいのだが、それでもして欲しいと言われたのだそうだ。
その事で後藤さんとあれこれ考えたが、結局t氏の意図が全然分からないので直接聞きに行くことにした。
すると、t氏のゼミでは学生(院生、ドクター含む)が持ち回りでパソコンの講義をすることになっているので、
viは私が当番になってくれという単純なものだった。『俺(だけ)、TeXゼミするんだったよな?』って
一瞬頭をよぎったが、C++ゼミにお邪魔するし、『スランプ脱出に役立つかも』と考え直し了承する。
だが後に、TeXゼミは4週間という長丁場私一人が担当するが、他の学生は担当1回だけであることが分かる。
水研でTeXを扱えるものが一人もいない、TeXは卒論で用いるので非常に大事で、ある程度
扱える者が教えなくてはならないというファクターを除いても、4週間担当する私が
viを担当しなくてはならない理由がない。後藤さんは否定したが、私のスランプを後藤さん(ひょっとしたらt氏も)
が気にしてくれて、立ち直りのきっかけをくれたのではないかと思った。
5/27
病は気からというが、スランプはそれこそ気持ちの問題である。そこで気分を変えるために
7月の支部にとっておいた新しい服をおろすことにした。そのかいがあってか、学生実験と
パソコンのセットアップという仕事を抱えながらも、憂鬱じゃなく過ごせる。
まあ〜一歩前進というところか。I君、H君、明洋のcygwinのaliasの設定の時は、面白ささえ感じたが、
その気持ちが明日に繋がるかどうか正直分からない。そのことを後藤さんと明洋に言ったら、
失笑をかってしまった。マジで明日に繋がって欲しい。
5/26
今日のゼミは非常にどよ〜んとしていた(様な気がする)。理由は後藤研内が酸欠状態だったからとか、後藤さんの
質問が先週の200%増し(当社比)だったからとか上げられるかもしれないけど、やはり一番の
理由は自分自身のテンションの低さか?先週辺りから全くやる気が起きない。元来私は好不調の波が激しく、
一度落ちると立ち直るのに時間がかかる。後藤研に来てからは、なぜか本格的なスランプに陥ることは
なく、たとえ落ちてもすぐに回復していたのだが、今回のは本物っぽい。どうにかならないものか。
明日、明洋や後藤さんに愚痴ってみようと思う。話は変わるけど、often事件(面倒だからこう名付ける)で、
後藤研全滅だと思ってたけど、IS君は初めから分かっていたみたいだ。IS君ごめんな(どうせ私の日誌なぞ読んでなんかいないだろうけど)。
またまた話し変わるけど、H君のパソコンおかしいですよ、後藤さん。なんかも〜支離滅裂。やべーってマジで。
たすけて〜。
5/24
日誌を書くため自分のところをクリックしようとしたら、誤って後藤さんのオフィスアワー
を開く(私の下にあるので)。GWに後藤さんが長期休暇に入った際、wikiの管理を頼まれて
以来のオフィスアワーのページだったが、修論・卒論指導の欄を見て笑い転げる。そこに出ている
ダメ学生が全て私なんだから。このままで行くと、全て私のやらかしたことで埋めつくされてしまう
かもね。去年後藤研に移籍して来たとき、初めから教わる機会があったが、それを私は拒絶した。
理由はいくつかあったけど、やっぱり4年と同じ立場で教わるのがなんと無しに気まずかったのと、
明洋とK(名前を載せる許可をもらってないので)が後藤さんの代わりに教えるということが
何か嫌だったからだ。10月までは、口先でうまく後藤さんをかわしてきたが、TAやらなんやらで
明洋と同等の技量を求められ、ついに後藤さんにばれてしまう(もっと前にばれてたかもしれないけど、
私がばれていることを認識したのはこの時)。けど後藤さんは「HTMLは誰もやってないし、HTMLを勉強しながらパソコン(プログラム)に慣れていったら」、
と言ってくれたので、目の前にあったくだらない障壁が取り払われる。果たして、秋田の町並みが
白くその姿を変える頃、講義で使うテキストを私がHTMLで作るまでになっていた。これを境に、後藤さんからは
色々とパソコン関係の仕事を頼まれるようになり、それがその都度私の技能向上に沿った内容だった。
その過程で生じたものがオフィスアワーに書かれている事という訳だ(実際は4月後半からの分しか載ってないけど)。
ところでこの話にはオチがある。この前後藤さんと明洋と話してるときに「後藤さんは私を成長させるために
色々仕事をまかせてくれているんですよね」って言ったら、「いやー、本当にただ仕事を
手伝ってもらいたかっただけだよ」だって。なんだかな〜。
5/22
昨日後藤さんが忙しそうだった(実際学会の準備で忙しい)ので、手伝いをかってでる。
果たして頼まれたのはngraphの修正作業だった。ngraphはマニュアルを一通り目を通していたが、
論文レベルの作業をするのは初めてである。何事においてもそうだが、練習と実戦(本番)では、
得る経験値も、使う体力(集中力)も桁違いに大きい。昨日は急に実験がキャンセルとなり、気の抜けた
状態でやるにはちょっとやな(嫌な=やなというのは仙台弁かな?)作業だったので、今日大学にいるわけである。
(疲れているので話は端折る(仙台弁:はしょる)が)途中、幾度となくトラブルに見舞われたが、作業自体は何とか完遂できた。
考えてみれば、私がトラぶったものは、マニュアルだけ読んだ者が陥りやすいトラブルである。
6月から始まる水研との合同ゼミでは私(だけ?)が指導することになるので、この悪い例の
サンプルは大いに役立つだろう。「こんなことも分からないの?」より、「こうしちゃうとダメだよ〜」
の方が学生もいいだろうしね(笑)。
5/21
「すごいショックだよ。しかも、あんたもそう思っていたなんて」ってのは、5/19の日誌を見た
後藤さんの弁。そう、"しばしば"のことである。後藤さんはそれこそたまに、しばしば=たまに、
と勘違いしている学生いるからということで話題を出したらしいのだが、その場では"たまに"が
多数派だったのだからショックを受けて当然である。しかも英語には定評がある私自身(ちなみに受験のときは偏差値70を下回ったことはほとんどない)勘違いしていた事と、私の書いた、しばしば=たまにと
現在の日本語で変化して使われているというくだりもショックだったらしい。「確かに
日本語は変化するものだけど、しばしば=たまには本当に変化しているのか?今度情報処理の
時でもアンケート採ってみるか」。思わぬ発展だけど、結構面白いかも。
5/20
"今日は一日、3年生の実験の予備実験を行った。"の一言で終わらせたいくらい、私は
力学が苦手だ。そもそも私は複数人の複数の勘違いで秋田大学の土木環境工学科に在学することになってしまった訳で、秋田大に来るまでモーメントすら知らなかった(旧過程だし)。
詳しくは書けないが、要は私の得意とする分野は化学(中退だけど薬学部)と生物なのである。
そんな私を理解し、一生懸命力学の面白さを説いてくださった師がいる。不肖の弟子で、
ついに力学を理解し得なかったが、力学を嫌いにならないで済んだ。実際このことは大きかった。
今、修論も含め、初めて力学だけに携わる立場におかれたが、何とか立ち向かっていける気力を持てている。
感謝の気持ちをもはや伝えることはできないが、あらためて感謝した一日だった。
5/19
その時、一瞬で皆に緊張が走った。ゼミ(外国語文献購読)中、後藤さんが”しばしば”の意味を聞いてきた時だ。
後藤さんが意味の無い質問をして来ない事を皆知っている。”しばしば=たまに”じゃないのか?
ある種猜疑的な表情が皆に浮かんでいる。かく言う私もそうだ。しばしの沈黙の後、4年の
H君がいけにえとなる。「たまにじゃないんですか?」後藤さんの笑顔が間違いであることを示唆する。
「やっぱり、勘違いしてたか。これは君たちが悪いんじゃない。最初にしばしばと訳した人が悪いんだよね。
oftenはたまにではなく、しょっちゅうだからね。」……「あの子、とってもかわいいけど、実は男の子なんだって」
「そんなばかな〜ばかな〜かな〜な〜(エコー+フェードアウト)」……
やべ〜、トリップしてしまった。中学一年で初めて英語を習い始め、初めて出会う副詞が
”often=しばしば”である。だからかもしれないが、英語が苦手な人でもoften=しばしば
であることは9割以上の人が知っているメジャーな言葉である。それ故、皆が受けた衝撃は、私ほどでないにしろ、決して小さいものではなかったようである。
ところで、しばしば=しょっちゅうという意味(goo国語辞典)であるにもかかわらず、
後藤さんが我々を叱咤せずに、しばしばと辞書に載せる方がおかしいと言ったのは、
日本語が常に変化する言葉であるからである。つまり、しばしばが今現在、本来の意味とは逆の
たまにという意味に変化し使われているという事実があるからである。ただこの問題は非常に
危うさをもっている。last(v)を逆の意味の終わると訳してしまう間違いは、その本人の英語力の問題
で済むのだが、しばしばは母国語の日本語の問題である。lastは意味が通じなくなり、辞書を調べて続くという意味を
知りえる可能性があれど、しばしばは日本語でありわざわざ国語辞典を調べることはなく、ましてやたまにと訳しても意味が通じてしまうことが多い。
英語を今後使わない人には全然意味を成さないことだったかもしれないが、私にとって奇跡的な
ことが起きた(奇跡的に間違いを知りえた)といっても過言ではない出来事だった。
5/19 T氏のありがたい一言について
う〜ん。T氏からありがたい一言を頂き感謝すると同時に、反省しています。反省は書いた内容
ではなく、私の軽率さ・無知さです。まず5/17を書いたいきさつから。前日にお互い忙しく話し合いができなかった→
5/18は朝から本屋巡りをする予定→朝メールしようと思う→朝起きて(5時)wikiを書いていないことを思い出し、まず書くことにする
→でも寝ぼけて後藤さんへのメールをwikiに書いてしまう→途中で気付くも、書き直すのが面倒なので、ところどころ
脚色して修論日誌の体裁をとる→時間が時間なので、一番最初に見るのは後藤さんであり、間違いなく
削除するものだろうと考え(削除されてもwikiを書いたという記録(事実)は残る)、そのまま送信する。
果たして、(多分)後藤さんが初めに日誌を見たわけですが、私の誤算は後藤さんが日誌を削除しなかったことでした。
後でその理由を聞きましたが、私には理解できませんでした。なぜなら、読んだ人に自分(後藤さん)が悪く思われても
、自分を知っている人が読めば誤解だと分かるからいい、というものだからです。ただ、逆にこの言葉がこたえました。
この言葉は裏を返せば、知らない人が読んだら、あらぬ誤解を生じうるということを示唆しているわけですから。
今回の件だけでも、後藤さんを知らない人が読んだら、せっかく書いている学生に何度もひどいことをいうやな奴だと取られるでしょうし、
私自身もネットで影で文句を言う馬鹿な奴だと取られるでしょう(実際T氏からそういわれているのですから)。
実際はそのどちらでもないのです(それこそT氏がご存知の通り)。私が軽率だったのは、二人のことを知っている
人が読むことを前提(5/17は後藤さんだけに読んでもらうつもりだったのですが…)にした文章を
公の場に乗せてしまったこと、無知さは文章を公にするという事の真の意味を理解して
いなかったことです。また、後藤さんに甘えていたのかも知れません。よって、そんな自分を戒めるために、後藤さんの奨めもあり、あえて5/17を削除しないことに
しました。ですから、私が根に持って載せたままにしているとか、後藤さんが知らないで
放置しているという訳ではないのでその点だけはご心配なく。
5/18
修論関連の文献を捜しに朝から旅に出る。秋田市は下手をすると仙台市よりも単位面積当たりの
本屋の数は多いにもかかわらず、欲しい本が手に入りづらい。それは分かっているが、
もしかしたら手に入るかも、という淡い気持ちであちこち廻るもやはり手に入らずじまい。
「だから言ったじゃない、文献は秋大の図書館が一番だよって」と後藤さんから童話・青い鳥的な
事を言われるてしまうのかな〜と思いつつ、夕方に大学に戻ってくる。けど主に話題になったのは、
昨日の日誌のことだった。色々話したけど内容を書くと長くなるから、その都度、引用しようと思う。
5/17
「オマエの日誌はつまらん」と大滝秀治ばりに言われたわけではないが、後藤さんからクレー
ムが入った。前後は忘れたけど、修辞・レトリック(goo国語辞典ででも調べてみて)だし、
前置きが長すぎると。しかし、修辞はどちらかというとよい意味で、レトリックは悪い意味
っぽく辞書に書いてあるから、どういう意味ですか?(後藤さんが言いたいことは何?どっち?)っ
て聞くと、「まー、いいや」と言葉を濁される。後藤さんの「まー、いいや」は、話を
それ以上したくないときによく用いられるから(4時から会議だからだと思うけど)、話をやめ、何事もなかったようにviとかcygwinとか
をやっていると、突然再び話を蒸し返される。別に気にしていなかったので、簡単にやり取りして
再び作業をしていると、暫くしてまたしても突然話を蒸し返される。ここで私はピンときた。
クレーム入れられたことで私がいじけていると勘違いしているんだと。今まで幾度と無く
討論(もどき?)をしてきて、お互い論破されても(私が論破した回数の方が圧倒的に少ないが)
その場で切れたり、いじけたり、次に残すようなことはお互いしてこなかったのに、今日に限って
その様に私を見るとは。(私を良く知る友人やT氏は私が分かると思うけど、要はプライドの問題)
いじけ者と見られたからには、もう日誌を書くのは今日でやめようかなと思うぐらい本当にいじけた一日だった。
「5/17」にひとこと
なんか,心変わりしつつあるようなので,書き込みをやめようと思ったけど,(こういう書き込みもあった方がいいのかなと思ったので,さらに私の名前が出ていたので)ひとこと.日誌なので思ったことを書いてもいいと(当然)思うけど,”議論”をしないで不満を述べるのは愚行だと思いますよ.また,他の人間の意見を自分の意見の補強として使う場合には,(別に許可を得る必要はないと思うが)「誰々がこういっているからこうだ」,というのは非常に危ういのです.伝聞や引用は,(書き方によっては)根拠を示す方法(参照箇所や参考文献)がない場合には,(いや,あったとしても)風聞としかならない可能性が非常に大きいのは,いろいろな社会?現象が説明してくれています.伝聞や引用があった場合,正確な引用(正確な伝聞というものがあるのかどうかはわかりませんが−アイヌ民族内の文化の伝承は正確な伝聞作業に値するのかな?−)もとの意見を確認する作業がないと,“思いこみ”というものが発生します.これが読者に生じた場合には,読者は,筆者の意見だけではなく,引用元の人格を誤解せずに読み込むのは困難です.例えば,私が君にいっていた「プライド」と,君の(ここに記されている)行動は,私には関連づけることができません.情報量が少ない,ということもあるでしょうが,様々な誤解を生じる可能性があります.君に説明を求めている訳ではありません.この場所は,君にとっていろいろな記述(や,考えを整理して)練習する場所でもあるので,いろいろと挑戦してください.以上,長い“ひとこと”終わり.【T氏より】
5/16
脳内スタミナ。と医学用語で言うかどうか知らないが、研究も含めて勉強を(長時間)するには、
体力はもちろんのこと、長時間頭を働かせる為の、脳自体の耐久力が間違いなく存在している。
その耐久力を私は勝手に脳内スタミナと呼んでいる。名馬ミホノブルボンを調教していた
故・戸山為夫調教師の明言に「私の考えではサラブレッドはすべてスプリンターである。日本の競馬
は1000メートルから3000メートルのあいだで行われており、人間で言えば100メートルから300メートル
くらいの感覚である。マラソンなら話は別だが、100メートルの選手が300メートルを走れないことはない。
だから、鍛えることによって距離を克服することが可能なのだ」というものがある。この
言を(短く?)引用するなら、『人間は皆、考えて生きる生き物である。例え日々平々凡々
と生きていても頭を使っていないと言うことはない。それに試験等が有ればそれなりに
長時間皆頭を使うのだから。だから、日々頭を使う作業を少しずつでもして増やしていけば、
研究する為に必要な時間を克服することは可能だ』と言える。ここまで書いて一つ重要な
事を書き忘れていたので付け加えるが(書き直すのが面倒なので)、私の言う脳内スタミナは、
自分にとって嫌なことをする為の脳の持久力を主に指す。好きなことに頭を使っている時の
脳の持久力は、体のそれとほぼ同義であり、一緒にしてはならないからだ。例を挙げるなら、
テスト勉強をしていて、疲れたから気分転換とか言ってマンガを何時間も読む人間が私の回りには多数いるが、
実はこれ自体頭をかなり使っていたりする訳で、脳が本当の意味で疲れているわけではない(本当に頭が回らなくなったら寝るでしょ)。
てな訳で、恥ずかしながらM2の今頃に脳内スタミナを鍛える作業をしている。
ただ誤解してもらいたくないのは、脳内瞬発力を上げる為の、脳内スタミナ鍛錬である。話が長くなるので脳内瞬発力に関しては後日にでも。
今日は、計算サーバーにログインしてFFTPでアップロード失敗したり、座屈にでテンパッたりと、5時間ほど鍛錬しました(笑)。
5/15
諸事情で二日程休みを頂いた為、三日ぶりの日誌である。無論、大学に来ない間も
それなりのことをしていたし、自分の家にもパソコンがあるのでそれなりの日誌は書けた。
けどそれをしなかったのは、俗に言う自分ルールのためである。そのルールとは、私の
修論日誌は”学内で行ったことに限定して書く”というものである。そもそも修論日誌は
卒論日誌と違って必修ではない。なぜなら我々院生(ひょっとしてM2だけ?)はジャビー
とは無縁の存在だからである。ではなぜ書いているのか?無論後藤さんに強要されたわけではないし、
趣味で書いているわけではない。我々M2は口で学生を動かすのではなく、行動を持って
範を示すべき存在だからである。な〜んてかっこいいこと書いたけど、つまるところ、『俺らは
必要ないから書かないけど、君たち学生はジャビーで必要なんだからしょうがないよな。まっ、が
っばって!』ではなく、『大変だし、面倒くさいけど、俺らもできるだけ大学に来て書くから(実際就職やらなんやらで大学に来ること自体おっくうだったりするわけで・・・)、我慢して頑張ろう!』な
ノリなのである。だからこそ、実際に大学に来て、行ったこと等を書くようにし、なんらかの
理由で大学に来なかったときは素直に書こうという自分ルールを作ったのである。どうでも良いけど、ま〜た
文章が長くなってしまった。ちなみにだけど、私の文章が長いのは自分ルールとはいっさい関係ない。
やはり文章を書くのが趣味なのだろーか?要するに学生諸君は真似をして長く書く必要はないよ、と言いたい。あっ、しまった!大事なことを書き忘れた(このままだと千田は大学に日誌を書くだけの為に来ていると思われてしまう)。
今日は岩熊先生の本を見て、めまいを起こしたり、後藤さんのホームページのTex化作業をして腹痛を催したりと、6時間ほどもまれたのでした。ちゃん、ちゃん。
5/12
『それでも朝は誰にでも等しくやってくる』なんて言葉が、恋人を亡くして徹夜で悲しんでいる
主人公に対してドラマで用いられたりするが、何か知らないけど目が冴えて一時間しか
眠れなかった私にもやはり等しく朝がやって来た。そんなこんなで昨日教わった計算
サーバーの使い方の練習をする気力が起きなかったので、午前中は同等の使用頻度にもかかわらず、
全然易しいNgraphのチュートリアルの読破を試みる。途中何度か夢の世界にいざなわれたが、
何とかこらえ、腹の虫がお昼を告げる。普段ならすぐに昼飯を食べに行くのだが、一時から
ゼミがあるので、その準備を先にしていくことにし、黙って作業を始めていると、「そーいや、
今日ゼミだから準備しなくちゃな」と後藤さんに言われる。『俺って、そんなに使えない
奴に思われているのかな』と怒りと悲しみの入り混じった感情が込み上げてきたが、そこは
我慢し話を合わせるも、この感情が夕方の討論会?に影響を与える。それは後で語るとして、今年度一発目の
ゼミは去年よりはずっといい雰囲気の中で進んだ。去年は笑顔なんて見られなかったからな〜。
ゼミが4年にとって辛いことに変わりはないのに、この違い。後藤さんの陰の努力の成果か、はたまた
4年のモチベーションの違いか。どちらにせよ及第点といったところか(生意気言ってますか〜?言ってますね〜)。
さて、夕方になり先程の討論会が始まった。討論会といっても、後藤さんと学生が腹を割って
本音で話し合うといったもので、午後五時以降、話が弾んだときに自然と発生するものである。
今日の議題は、後藤さんの話し方が、嫌味に聞こえたり、人を馬鹿にした言い方に聞こえることが
大いにあるというものだった。その原因の一つが、後藤さんのサーヴィス精神に起因するもので、
簡単な例にすると、受験勉強をしている高校生に英会話を教えるようなものなのである。
つまり、本当に英語を身に付けさせるには英会話を行った方が圧倒的によいのだが、
それを習っている者の現状には決して即していないわけである。これが嫌味に感じられる一因なのだが、ただ後藤さんは高校教師ではなく、
大学の教官で、習っている者も生徒ではなく学生(某教授曰く、学び生きていく者)なのである。
後藤さんの言うように、今必要の無いことはやりたくないという学生(今の秋田大学生)のプロトコルに、後藤さんが
合わせなければならないのか?というと、学生の本分という面では圧倒的に後藤さんの方が正しいし、
本当に学びたい者にとっては後藤さんのやり方の方がずっとありがたいのだ。両者の気持ちがどちらも
非常に理解できるので、何か中間管理職な気分だが、それでも等しく夜が来ていた。
5/11
四月に入ってから急に修論のテーマが変更になった影響もあり、今日初めて具体的な修論の話し合いが行われた。
テーマの名前は未だ決まっていないが、内容を簡単に説明すると、木材梁の弾塑性領域の計算らしい。らし
いと書いたのは、正直に言って私自身が何にも分かっていないからである。思いおこせば、私はこの三年で実に
三度ものテーマ替えを経験したわけであり、その全てが、全く違う分野のものであった。
学生時代は環境物質工学科で酸化チタンの物質的特性を研究していたわけだし、後藤研
に移ってからも景観の定量化がテーマ(結局何もしなかったけど)だったから、私自身、
本格的な力学の研究は初めてなのである。そんな訳で、今日の後藤さんはいつもに無い
位優しく説明してくださったのだが、基礎がまるで入っていない私には、てんでちんぷ
んかんぷんであった。何とか咀嚼できたのは計算サーバーの使い方位か。でもこれもかな
り練習が必要だろう。
5/10
”金曜に大学に来なかっただろう?”というツッコミを入れられる前に言い訳を一つ。皆さんご存
じかと思いますが、このウィキは誰でも誰のにでも修正可能という特徴を持っています。つまり、
我々がふさわしくないことを書いたときは即時に後藤さんに消去されてしまう事が十分に考えられ
るのです。特に私の修論日誌は、個人日誌に限りなく近いので、取り敢えず二日間日誌を書いて後藤
さんにお伺いをたてようと考えたわけであり、ですから金曜に大学に来なかったわけでもなく、まして
や削除されたわけではないのであしからず。では、日誌再開。今日は午後からちょっとイヤな事があり、
そのことを考えていたら腹痛をもよおす(私の腹は赤7・白オーラより弱い!)。そのために大遅刻をか
ましてam11:00大学着。あげくにそのイヤなことが繰り上がってもう始まっていた。お陰で数時間もんもん
としなくてすだのだからかえって良かったと言える。午後からは資料の修正作業を行う。作業が完了し、後藤
さんに見せると、私の名前をオリジナルの作者の岩熊先生(東北大学・後藤さんの師の一人)と一緒に書けと
おっしゃるではないか。私ごときの名が、岩熊先生と併記されるのは恐れ多いと断ると、「なんか間違いが
見つかったときに岩熊先生のせいになると困るから」と言われ納得。だけど、この資料を見る人たちが、
”岩熊先生と一緒に名前を載せるなんて図々しい”とかといった悪意を持ちかねないのではないかという一抹
の不安を拭いきれなかったりするわけで・・・。
5/6
昨日(今日?)は結局am3:00まで作業をしていたため、休みでもないのにpm8:00に後藤研
に到着(我ながら理由になってないな〜)。まず始めにこのホームページのチェックを始め
ることにする。みんなの日誌にいたずらされていないかチェックを入れていると、何とびっくり!
明洋の日誌に書き込みがしてあるではないか!それも本人の。彼が二日続けて日誌を付けるという
事象は、数多あるホームページの中からここを見つけ出していたずら書きされるという事象の可能
性よりも遥かに低い事のはずなのに。後藤さんの熱意が彼に(ようやく)伝わったのか、はたまた
単なる気まぐれか?どちらにしてもその姿勢に免じて今日呼び出すのはやめておこう(笑)。
5/5
後藤さんに「やれたらやっておいて」と言われていた仕事をしにpm8:00に大学に向かう。十
分後に後藤研に着き、早速パソコンに向かうも、後藤さんのホームページのソースの解読
に手こずり、自暴自棄になる。そんな時ふと、『今頃何もしないでボーっとしているであろう
明洋を呼び出し手伝わせたらいい』と我が内の悪魔がささやく。果たして明洋はpm9:30に到着
し、早速仕事を手伝わせる。学生時代から明洋が下調べをして、私が実行するという役割分担
がなされてきたから、今日もスムーズに仕事がはかどるはずだった・・・。「難しいからやら
くてもいいよ」と言っていた後藤さんの笑顔が浮かぶ。この笑顔の意味は額面通りか?「あんた
なんかにできないよ」の軽蔑の意味ではないのか?悔しいから再度チャレンジすることに決心
する。けど腹が減ったから明洋ラーメンでも食いに行くか!