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お知らせ

構造研の卒論のやり方(勧誘ビラ)

構造研のパンフレット的紹介   構造研近況写真   研究内容や卒論・修論の紹介

以下は、2023年度3年生向けに書き換えている途中です。 後藤班・青木班のゼミは合同で行うので、 以下はその説明になりますが、この文章を書いているのは 後藤なので、思想的な主張の部分は後藤に文責があります。 細かい運用や方針については、後藤と青木さんとで話し合いながら、 随時、修正していきます。 ちなみに、構造研内では、 教職員とか学生とかの立場に関係なく、お互いを 「さん」で呼ぶのを推奨しています。

3年生が研究室に配属されたら、 研究室で各自の机とパソコンを使えるようにします。

解析ツールがインストールされたLinuxパソコンを使って 実習を行います。 構造研(後藤班・青木班)に配属された学生には、 創造工房実習として、以下の課題を課そうと思います。 4年生になった時点で、すぐに卒論テーマに取りかかれるだけの 基本スキルを身に付けておいてほしいと思います。 構造研では、パソコンの操作方法など、先輩から後輩に伝授されていく ノウハウがいっぱいあるので、大学院に残る人がいるととても助かります。 というわけで、大学院志望者は特に歓迎します。

2023年度 創造工房実習課題(予定)
構造研のこれまでの卒論・修論の要旨

これまでに後藤や青木さんが秋田大学で担当した学生の 卒論・修論の概要やスライド、作業日誌は、以下に公開しているので、 どんな感じのテーマをどんな感じでやっているのかという雰囲気は、 大体わかると思います。 青木さんのテーマは、下に簡単に書いていますが、 研究室紹介のときに詳しい話は聞けると思います。

構造研スタッフの情報

卒業研究に使うパソコンツール

進捗確認ゼミと英語ゼミと実験(4年)

4年前期になったら、 (3年後期の実習で構造解析ツールも使いこなせるようになっているので) 卒論のテーマを決めて、 各自、少しずつ自分の研究を進めていく。 進捗状況をwikiに書き込みながら、毎週 1回、進捗報告のゼミを行う。 1週間で何ができたか、何かトラブル (エラーで計算が進まないとか)が起きたかとか、 今後はどういう方向で進んでいくか、 次の一週間はひとまず何をやるかなどについて報告し、 みんなで情報共有しながら、随時 軌道修正する。 このゼミは後期も行う。

前期は、進捗報告ゼミの他に 英語ゼミ(外国文献講読)を行う。 オーストラリアで数年間暮らしていた 青木さんに進行役をお願いして、 英語の発話訓練をやっている。 ここここ にあるように、2人ずつのペアになって、 ある課題(1週間の進捗状況を説明するとか)に関して2人で英語で説明し合う。 10分とか経過したら、 相手を変えてまた英語で説明し合う (するとさっきよりは少しうまく説明できる)みたいな感じで、 90分間ずっと英語で発話し続けるようにして訓練する。 最終的には、自分の研究の中間発表を英語で行う。 4年生は必修だが、院生も参加して構わない(結構、参加する)。 後藤や石黒さんも生徒の立場で参加している。

あと、実験や現地調査を行うテーマの場合、 実験や調査は一人ではできないので、手伝える学生が随時 協力して手伝う。 載荷装置の操作や試験体の加工等は、 技術職員の石黒さんに協力をお願いする。

卒業研究の進め方

学生の自発性を尊重して、かなり自由な研究室だと思うので、 手取り足取り細かく指示されないと何もできないという人はなかなか苦労する (というか何もできないまま危機的状況を迎えることになる)と思う。 大学というのは、 様々な意味で自由なことが大きな価値だ (特に昔の大学はそうだった)と思うので (一例として琉球大学のこんな感じとか)、 「毎日 朝何時から夕方何時までは研究室にいること」 みたいな拘束時間を設けたりということは、できるだけ やりたくないと思っている。 学生さんによっては、その価値をよく理解していて、 変な時間に研究室に入り浸って、プログラミングに没頭したり、 自分の私的(趣味)活動と研究をうまく両立したり、 ちゃんと自発的・計画的に自己制御しながら、 「自由」の価値を謳歌できている人たちもいる。 一方で、事細かにやるべきことをいちいち指示しないと (更には、来週の何曜日までに提出しなさい的な 時間制限つきの強制やプレッシャーを与えないと)、 何もしない、何もできない人もいる。 本当は、自由な雰囲気の中で、学生たちが自発的に研究を 進めていってくれることが理想だけど、 自由にすると、 その利用価値を理解できずに、 何もしない・何もできない状態に陥ってしまう人を そのまま放置することは 避けなければならない。 実に難しい問題である。 「最近の子供は、小学・中学から手取り足取りの教育を受けてきているので、 いちいち指示されないと何もできない「指示待ち人間」になってきている」 といった説 (ここの泥かき教えてもそうした一例か)は、 もしかするとこうした問題の一面をとらえているのかも しれないが、ある程度 丁寧に指導したおかげで研究の面白さに目覚めて どんどん自発的に研究を進める学生もいることを考えると、 どうもそういうことばかりではないような気もする。 やはり、構造研が面白そうだと思って、構造研で研究したいと思ってきたか という動機づけの問題はそれなりにあると思う。 例えば、拘束時間が少なそうなので公務員試験の勉強ができそうだといった 動機で構造研に来ることが悪いとは言わないけど、 もし 自由であるために私的な趣味や勉強(公務員試験とか外国語とか?)が できることに価値を認めたなら、 その自由が失われないように、計画的・自発的に 研究と私的なこととを両立できるように必死に自己制御してほしいところだ。 あるいは、希望してなかったけど希望の研究室に行けずに構造研に 回されてしまったということであれば、 だから「やる気がない」という状態のまま思考停止するのではなくて、 与えられた環境・与えられた課題の中で自分が少しでもやりがいを 感じられるようにするにはどうすればいいのか、必死に頭を使ってほしい。 社会に出れば、 人間は必ずしも自分の希望する環境が与えられるわけではないのだから、 そうした自分の環境・状況を少しでもよくしていこうともっと真剣に 頭を使ってほしいと思う。思考停止で状況がよくなることはまずないし、 自分にとってものすごく損だと思う。 あと、 一般的な話として、自由というのは自発性を前提になりたっているのだと思う。 自由な環境を温存したければ、 必死になって自発的にやることをやり、 自由にされてもちゃんとできるんだということを示す必要がある。 それができていないということが発覚すれば、 不本意ながらも教育上、 少しずつしばりを増やして自由を制限していかざるを得ない。 ひとまず各自に 一週間の計画を立てさせて次の週にその計画をどれだけ達成できたかを 報告させる(そしてその次の週までの計画を新たに立てさせる)的な ゼミ運用を試してみて、それでうまく回っているようなら、 そのやり方を続ける。

研究室
先輩、後輩、同輩が互いに教え合うだべり場

大学3年までは、 授業を受けること(つまり、既に答えがわかっていて教科書に書いてあることの学習) が勉強の中心な訳だが、 大学3年後期からは研究室に配属され、特に大学4年になってからは 卒業研究(つまり、答えのわからない問題についての問題解決) を中心とした実習を行うようになる。 研究室には、3年生から大学院生までが自分の机と自分のパソコンを持ち、 それぞれ与えられた課題を解決すべく研究している。 互いの研究分野は重なっているし、研究のために必要な構造力学や 数学などの基礎知識、構造解析ツールの使い方 (それ以前にLinuxパソコンの使い方ノウハウ)、3Dプリンタの使い方などは、 研究室のメンバーが共通して身につけなければならないことなので、 研究室というのは、 互いに必要な知識やスキルを教え合う共同体でもある (といっても、 人に聞く前にまずは自分で調べる努力をする 習慣は身につけてほしい)。 研究室には、いつ来てもいいし、お茶を飲んだりごはんを食べたりしてもいい、 研究のことを色々教わっている 先輩や教職員と将来や人生について語ってもいいし、 研究室は、そういう良い意味でのだべり場なのだと思う。 だから、研究室が良い意味でのだべり場として機能するように、 3年生も研究室に来て勉強するようにしてほしいし、 私も頻繁に研究室(学生室)に顔を出そうと思うし、 一定数の3年生が大学院に残ってくれたらありがたいと思う。 だから構造研では、3年生も研究室で勉強しやすいように (だべりやすいように)、 3年生にも各自の机とパソコンを与えている。

学外での発表 (というか後藤の思想的傾向というか)

卒論の研究で一定の成果が得られた場合には (最近の例)、 3月に土木学会の東北支部 技術研究発表会で発表してもらう予定(というか、これが一つの目標)。 もっと積極的に公開したい成果が得られた場合は、 木材工学研究発表会 構造工学シンポジウム などに論文投稿する場合もある(特に大学院進学希望者には目標になるかも)。 卒業研究というのは、 構造力学の授業のレポートみたいに答えの分かっている問題を解いているのではなくて、 「現在の科学ではよく分からないこと」を 少しでも分かるようにしようとか、 「現在の技術ではうまくできないこと」を少しでもうまくできるようにしよう と研究している訳である。 それで「こういうことが新たに分かった」とか 「こういうことができそうなことが示せた」とか 一定の研究成果が得られた場合、 それを学内の卒論発表会でしか発表しないというのはもったいない。 科学の発展というのは、 研究者たちが研究成果を学会や論文で発表して公開し、 他の研究者たちに批判されたり、利用されたり (無視されたり)しながら、 有用な成果が淘汰され改善されていくものだと思う。 まあ、 私の卒論テーマはそれほど最先端の新規な研究って訳じゃないかも知れないけど、 それでもそれなりの成果が出たものは、 こうした「科学の発展」のシステムの中に公開したいと思っている。 というか、みなさんは学会発表みたいな形ででも、 「科学の発展」のシステムの ほんの一部を(真似事でも)実体験としてほんのちょっとかじったという 経験を通して―

つまり、 卒業研究を通して私が学生たちに学んでほしいと期待していることは、 必ずしも 木橋など構造物の構造的性能のこととか 数値解析手法のこと自体という訳ではない。 そういう研究ネタで卒業研究し、学会などで発表することを通して、 科学が採用しているシステム (研究成果を公開して批判にさらしながら自己修正する) が有効に機能していることを(少しでも実感として) 学んでほしいし、 その意味で身近に転がっている 多くのニセ科学科学の発展のシステムから外れている と判断できる能力も養ってほしいと思っている。

その関係でついでに言うと、 Linuxパソコンを使わせるからといって、 学生がLinuxの使い方自体を学ぶことを第一に期待している 訳ではなくて、 科学研究と同じような自己修正機能が、 成果を公開して共有しながら改善を図るオープンソース のツール でも有効に機能して成功しているんだということを 実際にLinuxパソコンを日々 使いながら実感してほしいとも思っている。 スマホの AndroidLinuxベースだって知ってますか。